| あらすじ |
刈和野は雄物川を挟んで由利の諸藩と対していて、近郷の中心地であり、久保田街道、角館街道にもあたっており、宿場町でもあった。さむらい町でもあり、武勇伝も伝わっている。昔、林氏で、喜内冬兼の男、縫之丞冬嗣(としつぐ)とて、元禄16年に生まれ、天明6年11月83才でなくなられたという武士がいた。ある年、刈和野の御本陣(佐竹藩の役所で、今の西仙北診療所のあたり中心に大きな建物があった)で、時の佐竹公が来られ、武芸御試めしということになった。冬嗣は心陰、柳生両流の師範であり喜んで仕合に出た。第一番に勝った。仰せで第二番も勝った。殊のほかお喜びで三度目の仰せで、82才がにっこり笑ってみごとに勝った。感状と褒美を賜り、一族の面目をほどこした。更にこの冬嗣が四十才の頃のこと、ある秋の日の小雨そぼふる夜のことであった。帰宅途中、暗がりにさしかかると、六尺にも達する坊主(ぼうず)が行くのが見えた。その頃二日町に、伊藤玄恕という大男の医者がいたので、玄恕だと思い、何度も声をかけたが返事もふりむきもしない。しかし、当時は、坊主頭のものは、「医者坊主」といって坊主になる習わしであり、間違いないと思いまた言葉をかけたが返事がない。遂に腹をたてて「返事をせぬとは無礼なやつだ」とひとりごとを言うと背高坊主は、ひきかえし、ものもいわず、つかみかかって来た。組みつきみると、腕はとても太く、熊のように毛むくじゃらで、棒のように堅い。戦うこと一とき(今の2時間)東の空が白んできた。逃げようとしたので、引き寄せたが逃げられてしまった。この時、両手に一つかみづつの毛をむしりとった。家で家人と見れば牛の毛か熊の毛のようで、二またになった毛もあり、ただものとは思えなかったということだ。長く家に伝わっていたが、ある年の洪水で家財とともに流してしまったということである。 |