| あらすじ |
大楠公、楠正成の子孫は、由利(今の由利郡)の楠氏で、その楠氏は以前、大沢郷の、「内越」(うちこし、由利ではウテツという)に居住し、赤坂や白坂城跡と共に今田兵三郎家と深い関係があると伝えられている。昔、白坂城は、ある豪族の居城であった。その頃は、平生は城を下って耕牧の生業に励み、敵来れば直ちに城塞に立籠って敵に向かう、というものであった。ある時、横手勢が攻よせてきて、城主は直ちに非常命令を発し、城に登り、策をめぐらした。敵は四方に陣を立て、偵察隊を出し、中の様子をうかがわせた。今の寒風(さむかぜ)の陣留(じんどめ)の橋のあるところでその名が残っているといわれている。一人が城に程近い山の上に立ち扇を立てて眺めると、大将らしき女武者が一人、しきりに城を駆めぐり城兵を励ましていた。それからここを「扇立て長根」とよぶことになった。再三人を変えても大将は女武者一人と報じて来る。そこで横手勢は、夜明けを待って一気に四方から攻め込んだ。その日の小昼時には落城してしまった。城に入ると城主がいたのだが、戦意を喪失したので、その妻が武装したことがわかった。この時城を逃れた者もあったが、皆捕られた。その所を「とった沢」といい、最後に首を切った所は、「きった沢」といい、その太刀の血を洗った流れは、今野田の方から流れて来る川で、「横手川」と呼んでいる。また、その中の七人の武将の首を埋めた所を「七首(ななくび)」といったが、現在これは開墾されて跡形もなくなっている。
|