| あらすじ |
角館城に居た戸沢家に一大事が起こった。それは秀吉の命を奉じて小田原合戦に登った盛安が戦死し、続いて登った光盛も文禄元年姫路で卒し、二代続きの急死である。光盛は17才で子はなくお家断絶がせまった。そこで先代盛安の妾、甘酒さん子に生まれた「申(さる)松(まつ)」で家督相続となった。甘酒さん子は今の西仙北町土川上野(うわの)の屋敷添えで今に「甘酒」という字の所で住んで居た。その頃は通路の交差点で、大清水(おおしづ)という清水のそばで甘酒を商っていた。美貌に皆見ほれた。盛安は妾にしたのである。そこで譜代の臣富樫伊予が訪ねるとさん子は申松と東光坊に身を寄せていた。伊予は「一本木(昭和35年伐る)」の辺でついに東光坊を斬り傍らの沼に投じ申松を連れ戻った。上洛し家康の口ぞえで秀吉の許状を貰うのだが、「大森御前」を母として付き添わせることにした。戸沢譜代の臣楢岡尾張守の娘(38才でやもめ・美人で上品)である。文禄元年申松は九郎五郎と改名し8月に秀吉の謁見を得て家督相続が許された。やがて九郎五郎は政盛と名のり戸沢21代の主となり慶長七年常州松岡に所替え、元和8年更に羽州最上郡新庄へ替えられ6万8200石の領主となった。大森御前は後に15人扶持を下され新庄楢岡市郎左工門屋敷に隠居したが、火災で秀吉拝領の品は焼失したとのことである。 |