八人塚(はちにんづか)

詳細情報

番号 4629 種別 伝説

  大分類 中分類 小分類 番号
日本伝説名彙 塚の部 塚(穴) - -
日本伝説大系 自然説明伝説 祠堂 - -
日本昔話名彙 - - - -
日本昔話大成 - - - -
日本昔話通観 - - - -
世間話 - - - -
AT分類 -

執筆者名 - 編者名 -
書名・誌名 東由利の民話
書名(全集名等) - 巻・号 1
発行所 東由利町教育研究所
発行年月日 昭和57年9月 発行年(西暦) 1982年
所蔵先 秋田県立図書館
開始頁 20 終了頁 23
文体 通行体
冒頭文 国道一〇七号線ぞいの板戸部落から別れて北東への山道を歩いて行くと、明治時代の頃まで大事な道路として多くの人が行ったり来た
結末文 今でも毎年の五月五日にゆかりのある大日向家の人たちが集まってお祭り(供養)をしています。

あらすじ 国道107号線沿いの板戸集落から北東の山道を行くと、明治時代の重要な道路のアンダイ道がある。この長根を通っているアンダイ道を東に行くと、東由利町と雄物川町の境になっている雑木林がある。この林の中に2つの石碑があり、これを「忠節八人塚の碑」という。1つは文政9年(1822年)建立、もう1つは昭和22年に大日向家のゆかりの人達が8人の冥福を祈り建立した。この八人塚は、日向の国(宮崎県)延岡の城主、堀内和泉守が戦に敗れたすえ、雄勝地郡羽後町に住むようになった。武士を捨て百姓として生活し、住んでいる土地を堀内と名付け、姓は自分が生まれ育った所から大日向とした。和泉守を見つけた家来達が、家の再興を、と頼むが主君は、争いごとに疲れた、と日向に帰ろうとしなかった。主君に断られた家来達は堀内を離れたが、小高い丘の上に来たとき、思いあまり切腹してしまった。和泉守がかけつけたときには皆息絶えていて、嘆き悲しんだ。その8人を慰めようとたてたのが八人塚で、今でも毎年5月5日に大日向家の人が供養を行う。
追記 -
その他 -

地域(原文に書かれている地域名) 板戸
地域(現地名) 由利本荘市東由利
史跡等 -

音声データ - 音声収録年月日 - 音声収録年(西暦) -
話者名 - 話者情報 -

PDF -