狩野 亨吉 かのう こうきち

狩野 亨吉(かのう こうきち)

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狩野亨吉葉書

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狩野 亨吉(かのう こうきち)

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受入番号
3
資料名
狩野 亨吉(かのう こうきち)
特長
孤高の碩学
狩野(かのう)
亨吉(こうきち)
出身地
大館市
出生年
1865年(慶応元年)
没年
1942年(昭和17年)
年譜
1865年 大館市に生まれる。
1888年 帝国大学理科大学数学科卒業。
1891年 帝国大学理科大学哲学科卒業。
1892年 第四高等中学校教授。
1895年 「志筑忠雄の星気説」を発表。
1898年 第五高等学校教授を経て第一高等学校長。
1906年 京都帝国大学文科大学長。翌年、文学博士。
1928年 「安藤昌益」を発表。
1936年 「天津教古文書の批判」を発表。
1942年 東京都で没。77歳。
資料解説
日本の科学思想史の開拓者。江戸時代の思想家・安藤昌益や物理学者・志筑忠雄を発掘し紹介。
第一高等学校長、京都帝国大学文科大学長を歴任。
夏目漱石作『吾輩は猫である』の苦沙弥先生のモデルと言われる。
分野
学術 / 人文科学
関連ファイル
狩野亨吉自筆ハガキ  [982.582Kbyte]