菅 禮之助 すが れいのすけ

菅 禮之助(すが れいのすけ)

菅 禮之助(すが れいのすけ)

菅 禮之助(すが れいのすけ)

菅 禮之助(すが れいのすけ)

受入番号
117
資料名
菅 禮之助(すが れいのすけ)
特長
日本エネルギー界に君臨
菅(すが)
禮之助(れいのすけ)
出身地
秋田市
出生年
1883年(明治16年)
没年
1971年(昭和46年)
年譜
1883年 秋田市に生まれる。
1905年 東京高等商業学校卒業。
1939年 帝国鉱業開発社長。
1946年 石炭庁長官。後に、配炭公団初代総裁併任。
1948年 公職追放で辞任。俳誌『同人』を主宰。
1954年 東京電力会長。
1955年 電気事業連合会会長、経団連評議会議長。
1956年 日本原子力産業会議会長。
1971年 東京都で没。88歳。
資料解説
戦後のエネルギー問題の解決のため、鉱業、石炭、電力、原子力エネルギー関係産業の振興に尽力した。
特に原子力の平和利用と産業開発の確立に関わった。
俳人であり、俳句集『裸馬翁五千句集』などがある。
菅禮治の長男。
分野
産業経済 / 商業・金融